お守りみたいな言葉



少しずつ暖かくなってきた。先週まで着ていた上着を同じように着ていると、汗ばむような日もある。

少しずつ暖かくなってくるにつれて、少しずつ気分も良くなり、少しずつ気分も良くなるにつれて、少しずつ体調も良くなってきた。単純なことだけれど、単純なことこそが、いちばん大切なのだということは、身をもって学ん(だ/でいる)。

また、木曜日に生理が来て、先週の心身の不調はPMS(月経前症候群)的なものだったのだと分かって、安心した。久しぶりに生理が来たことにも、安心した。不調の最中にそれが分かっていれば、もっともっと安心だったのだろうけど、稀発月経なので、そもそも、「今は生理前だから」ということが分からなかった。今回の生理が終わったら、久しぶりに、婦人科に行こうと思う。ひとまずはよかった。



月曜日、春学期分の休学願を提出しに行った。学生証を見せて、必要な書類を提出して、教授との面談の予約をして、それだけでとても疲れてしまった。緊張していたのだと思う。

新しくなった戸山キャンパスには初めて足を踏み入れた。ぜんぜん知らない場所になっていて、おどおどしてしまった。家を出るときには、せっかくだから(戸山キャンパスに新しくできた!)スタバに寄ってから帰ろうなどと思っていたのだけど、「休学すんのにスタバは飲むんかい」という嫌な自意識が働いてしまって、やめた。

どこかで聞いた言葉だけれど、休養(療養)と謹慎は全く違うのだから、リラックスやリフレッシュのために「遊ぶ」ことに罪悪感を覚える必要はない。そうだよな!そうだよな!とは思いつつ、何食わぬ顔で戸山のスタバに入り、新作のフラペチーノを頼むのは、ちょっとハードルが高すぎた。それで無理をしても何の意味がないので、ほかにちょうどいい場所を見つけたいと思う。

夜は、恋人と一緒に、銭湯に行って、デニーズに行って、晩ごはんを食べた。ハンバーグカレードリア。二人ともお金が無かったので、ぎりぎり予算で、いちばん満足のいくものを選んで頼んで食べた。美味しかったし、楽しかった。

もしかして、わたしにとってのちょうどいい場所、ここでは?


火曜日、夏にある企画の打ち合わせ。この企画が、大学在学中で最後の企画になるかもしれない。そんなことおいておいても、企画自体が、とても素敵な企画だと思うし、ご一緒させていただく方々も、とても魅力的な方々で、いまからわくわくしている。「それぞれがいままでやったことのないことに挑戦できる機会になればと思っています」という言葉に、まんまと乗っかってみたいと思う。

火曜日の夜、本当に些細なことなのだけれど、ショックだった出来事を思い出してしまうことがあって、苦しかったし、悔しかった。まだ何も終わっていなかったのかと。


水曜日、朝ごはんに、フレンチトーストを作って、食べた。昼ごはんに、恋人が、ミートソーススパゲティーを作ってくれて、食べた。夜ごはんに、豚丼を作って、食べた。

木曜日、朝ごはんに、卵と納豆と味噌汁とご飯を食べた。OFFOFFシアターで、平泳ぎ本店の『SAKURA no SONO』を観た。夜ごはんに、醤油ラーメンを食べた。

実を言うと、水曜日と木曜日の「記憶」があまりない。写真を撮っていたので「記録」だけはある。木曜日の夜の月が綺麗だったということも。写真を見て、そういえばそうだった、という感じ。記録をしておかなければどうなっていたんだ、という感じ。少し恐ろしく感じている。


金曜日、森本あおに写真を撮ってもらった。学部は違えど、同じ戸山キャンパスで、サークルは違えど、同じ早稲田演劇界隈で、入学当時から、なんとなく、付かず離れず、それぞれ、学生生活を送ってきて、いつのまにか、四年生になってしまった。こうやって、あらためて二人で出掛けるというのは、なんだかんだ初めてだったのだけれど、とても充実した時間だった。

緑いっぱいの石神井公園をじっくりと歩いて周りながら、いろんな話をしながら、いろんな写真を撮ってもらった。帰りに、近くの喫茶店に寄って、コーヒーフロートとチョコレートソースとホイップクリームのトーストを食べた。そのときの様子も、写真に撮ってもらった。欲望のままに甘味にかぶりついている様子が、しっかりと収められていると思う。

帰ってきてから、生理痛がひどくなって、恋人が帰ってくるまで寝ていた。恋人が帰ってきてからも、それぞれ疲れていたので、自炊はお休みして、近くのスーパーでお寿司を買って食べた。


土曜日、ひとり多ずもうのFBの見学に伺った。今回、監修をしてくださっている、松井周さんに、それぞれのペアが進捗を報告して、よりよい作品にするためのディスカッションが行われる。渋谷駅で迷ってしまったため、途中からお話を聞くことしかできなかったけれど、自分たちのペアにも応用できる考え方もたくさんあって、とても実りのある時間だった。来週の土曜日のFBでは、わたしたちのペアも作品の現状を見ていただく。緊張するけれど、本当に有り難い機会なので、しっかりと準備をして臨みたい。

帰ってきてから、昨日に引き続き、生理痛と強い睡魔に襲われて、気付いたら、寝ていた。恋人の帰りが遅い日だったので、近くのコンビニで買ってきたサラダとカップ麺を食べて、軽く、部屋の片付けをしたあと、すぐに寝る準備をした。が、いざ寝ようとすると、寝られなかった。寝「ようとする」と、寝られなかった。

二時間ほど横になっても眠れなかったので、あきらめて電気を付けて、しばらく、だらだらと携帯を眺めていた。

ふと、散歩をしようと思いつき、携帯と財布だけを持って、外に出た。

きのこ帝国を聴きながら、コンビニで、ミックスナッツと缶チューハイ二本を買って、ちまちま食べながら、ちみちみ飲みながら、あまり遠くには行かないように、花を見つけたら写真を撮りながら、歩いた。

一時間ほど歩いてほどよく疲れたので帰ってきて、缶チューハイの残りを飲み切った頃には、久しぶりに「酔っ払った」という状態になっていて、たまにはこういう日があってもいい、と思った。結局、恋人が帰ってきた頃には、外が明るくなってきていて、それからどうやって眠りについたのか、よく覚えていない。

よく覚えていない、けど、いい夜だった。


日曜日は、ひたすら、だらだらしていた。昼過ぎまで寝て、コンビニでパンを買ってきて食べて、昼寝をして、動画を観て、昼寝をして、動画を観て、夜は、牛角に焼肉を食べに行った。毎日が休日のようなものだけれど、世に言う「休日」のようなものを過ごしたと思う。




待ちに待った、カネコアヤノの新曲。「愛のままを」と「セゾン」。この一週間だけで、どれくらい繰り返したか分からない。

お守りみたいな言葉を歌った「愛のままを」が、わたしにとって、お守りみたいな歌になって、「セゾン」と一緒に、ミモザが揺れて、四月が終わっていく。カネコアヤノの歌は、なんでもない風景や、なんでもない気分に、寄り添うように漂う。優しすぎて、泣きたくなる。というか、泣いた。


昨年の今頃は「祝日」を聴いていた。

いまの恋人が、まだ恋人ではなかった頃。彼のことを想うことさえ、だれにも、ゆるされないような気がしていた頃。振り返ってみても、どうしようもなく、情けない日々。そんなとき、ひっそりと頼りにしていたのが、彼女が紡ぐ言葉だった。

お腹が痛くなったら
手当てをしてあげる
あなたが振り返らなくても
姿が見えなくなるまで
気づかれないように見送る

恥ずかしい話だけれど、ほんとうに、この言葉の通りにしていた。(正確に言うと、交際を始める前に彼の腹痛に立ち会う機会はなかったので、いつそうなってもそうするぞ、というマインドだった。)

ほんとうに、お守りみたいな歌だった。わたしが、勝手に、お守りにしているだけだったけれど、たしかに、「祝日」はわたしのお守りだった。この歌がなかったら、わたしは彼を想い続けることをあきらめていたかもしれないし、それぞれの想いを確かめる日は来なかったかもしれない。

そんなことを、恥ずかしく、懐かしく、感じながら、また新しいお守りみたいな歌を聴いている。


みんなには恥ずかしくて言えやしないけど
お守りみたいな言葉があって
できるだけわかりやすく返すね
胸の奥の燃える想いを



中島梓織

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