おしゃべりしてくれたらうれしい
半年前まで深夜清掃のアルバイトをしていた小杉湯に復帰することになった。
番頭の美帆さんとお話をして、来月から、毎週、火曜日と金曜日の夜の時間帯(21時から24時まで)に、脱衣所、待合室や番台、玄関、ランドリーの掃除をしたり、タオルの洗濯をしたり、その他、小杉湯のホスピタリティの充実のための仕事をさせていただくことになった。
お話の中で印象的だったのは、「お客さんとおしゃべりをすること」も、仕事のひとつだということ。
ここ最近の私は、外出先で体調不良になることが嫌で、(不安障害の症状として言えば「予期不安」:発作が起こるのではないかという不安で、)人と会うのが億劫だった。人と上手く話せないからと言って、人と会わなくなって、余計に人と上手く話せなくなるし、余計に人と会わなくなるしで、悪循環の中にいた。
春になって、少しずつ、外出をするようになって、少しずつ、人と会うようになって、少しずつ、その悪循環から抜け出しつつある。お互いが対等な関係で「おしゃべり」をするということが、得意ではないけれど、嫌いではない、むしろ好き、という感覚を、思い出しつつある。
そんなタイミングで、小杉湯三代目の佑介さんから連絡を頂いて、それも仕事のひとつというお話を伺って、少しずつ、少しずつ、「おしゃべり」をするということに対して、前向きな気持ちになってきた。
まだ、実際に仕事を始めたわけではないけれど、小杉湯で、いままで触れてこなかったコミュニケーションの形に出会えるだろうか。不安や緊張もあるけれど、どちらかというと、期待のほうが大きい。
火曜日は、後輩と、カフェを二軒はしごして「おしゃべり」をして、夜は、水谷先生と桃山商事の清田代表が主催する「見当識と素材を取り戻すための自主ゼミ」に伺い、お二人と贅沢貧乏の山田由梨さんのお話を興味深く聞き、帰りには、自主ゼミで偶然再会した先輩とそのご友人と、中華料理屋で「おしゃべり」をした。
水曜日は、休学のための面談に行った。冷たい雨の日の午前中ということもあり、個人的には体も心もコンディションは最悪だったのだけれど、どうにか家を出て、どうにか受付をした。
学生担当の教務主任(初対面)に、病気になった経緯や休学を申請した理由を説明した。「いま、様子を見てる限りは大丈夫そうに見えるけどね。今日は調子がいい方なの?」などと言われ、うんざりしてしまった。適当な返事をした。面談自体は10分も経たずに終わって、全て書類に書いてあることなのに、何の意味があるのだろうと思った。
学校に行けないから休学願を出しているのに、そのために、実際に学校に行かなければいけないシステムは、やっぱりどこか配慮が欠けているような気がする。月曜日、火曜日、「おしゃべり」について考える機会が多かったからこそ、余計に疑問に感じてしまった。
木曜日は、病院に行き、先生に直近二週間の体調について話を聞いてもらい、薬剤師の方にも丁寧にアドバイスをもらい、病院を変えてから、治療に対して、自分自身がより前向きになっていることに気づく。それはそれとして、通院自体は、気力も体力も削がれてしまって、とても疲れる。新しい病院、新しい薬局に、慣れていないということもあるだろうから、あまり深く考えないようにする。
金曜日は、小杉湯の懇親会があり、仕事を始める前に懇親会に参加させていただくというなんだか申し訳ないような体験をした。初めましての方々とも、半年前まで深夜清掃をしていた頃に一緒に働いていた方々ともお会いできてうれしかった。
高円寺のちいさなスナックで、ぎゅうぎゅうになって座って、お酒を飲みながら、みんなで歌った。二、三時間で、スナックのママやたまたま居合わせたおじさま方も含めて、すっかり「小杉湯ファミリー」になっていた。すごかった。ひととひととのつながりとはこういうことを言うのだ、と思った。刹那的であってもいい。たしかにそこには、ふれあいがあり、つながりがあった。
正直、家を出る前は、復帰する立場で、どのような顔で参加したらよいのか不安だったのだけれど、宴が終わる頃には、そんなことも忘れてしまっていた。スナックを出たあとは、みんなでお風呂に入った。久しぶりの小杉湯での交互浴で、最高に整った。
土曜日は、先週に引き続き、ひとり多ずもうのFB。今回は、私たちのペアの進捗も、松井さんにじっくり見ていただき、たくさんのアドバイスとたくさんのアイデアをいただいた。
ひとり多ずもうの出発点も、俳優と演出家(と監修である松井さん)の「おしゃべり」にある。俳優のエピソードをもとに、作品の題材を決め、どのように、観客とそれを共有できるのかをとことん話し合いながら突き詰めていく。どのような形がベストであるかは、俳優の性質、演出家の性質(作風?)によって、それぞれ違っていて、松井さんは、それを踏まえてアドバイスをしてくださるので、つくづく、有り難い創作環境だと思う。
「おしゃべり」の延長としての作品、その作品に、観客が対等な関係で反応をしてもらうにはどうしたらいいのだろうか。この話は、火曜日、中華料理屋で先輩方とも少し話をしていた。これからも考え続けていくだろうし、いろいろな方法を試し続けていくだろうと思う。
とりあえずは、今回のひとり多ずもうで、私たち二人の「おしゃべり」から、まだ見ぬ観客の皆さんとの「おしゃべり」へと、広げられるように、繋げられるように、努力したい。
二月の終わりから三月の初めにかけて上演した『あなたのくつをはく』という作品のキーワードにしていた、「おしゃべり」。
わからなくても、わからないから、わからないからこそ、わからないことをわかった上で、「おしゃべり」をする。わたしとあなたはちがうけれど、それでも、隣にいたいから、それでも、大切したいから、そのために、「おしゃべり」をする。
正直、その頃はまだ、「おしゃべり」をすることに対するハードルは高く、本当に身近な相手、本当に心を許した相手としか、真剣な対話はできないのではないかと感じていた。そうではないと分かっていても、感覚として、それに対する恐怖のほうが勝っていた。実際に、作品中で描かれていた「おしゃべり」も、ある程度深い関係性を持った一人対一人のものがすべてだった。
ある意味、その形のコミュニケーションだけに、固執してしまっていたのかもしれない。きちんと、お互いの関係性をよりよくするための、意味のある(意味ってそもそも何やねん)対話でなければ、という強迫観念のようなものがあったのかもしれない。
外出先で出会う(たとえば、久しぶりに会う友人とか、初めて会うえらい人とか、学生会館のインフォメーションのおばさんとか、駅員さんとか、道ですれ違うお姉さんとか、電車で隣り合うお兄さんとか、わたしは名前を知っているけど、わたしの名前は知らないであろう教授とか、)すべての人と、同じだけのエネルギーでもって、意味のある対話をするのは、体力的にも、精神的にも、無理がある。
上手にしゃべれなかったり、適当にあしらってしまったりして、意味のない時間にしてしまった、という罪悪感があれば、「すべての人にとって、わたしとの対話を意味のあるものにするのには無理がある」と、諦めてしまうこと自体にも罪悪感があり、それができないならもう家を出ない、というような極端な選択をして、引きこもっていたんだな、と、いまになって思う。
別に、そこまで気にしてる人、いないと思う。
もう少しだけ、肩の力を抜いてみたいと思う。この一ヶ月で、だいぶ生きやすい環境に自分の身を置けるようになってきた気がする。せっかくだから、そのときどきで、そのところどころで、のびのびとさせてもらえたらと思う。
おしゃべりしたくない、とは思わない。おしゃべりしたい、とまでも思えない。それでもいい。それでも、そのことに、罪悪感を覚える必要はない。おしゃべりしなくちゃ、と思わなくていい。
おしゃべりしてくれたらうれしい、くらいの気持ちで、自分の生きやすい場所に、ただ、そこにいたい、と思う。
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