日記を書いていなかった




日記を書いていなかった。

昔から、日記を続けるのが苦手で、始めては続かず、それでも始めては続かず、それでも始めては続かず、というのを、何度も何度も繰り返してきた。

小学生の頃、枕元でつけていた小さな日記帳に「また日記を書くのを忘れてしまいました。これからは気をつけます。ごめんなさい。(だれに謝ってるの?)」みたいなことを書いていたことを思い出す。


こうして日記という日記を書き始めたのは今年に入ってからで、一月から三月前半の二週間までは続いていた。三月後半の二週間は意図的に日記を書かずに引きこもって、四月に入ってからは一週間に一回のペースで書いていた。

が、そのペースが崩れたのが、ゴールデンウィーク明けのインフルエンザの明けのこの三週間。いい意味で忙しく、日記を書く時間が無く、気付けば三週間も経っていて、気付けば五月が終わってしまっていた。

気付けば、湯上がり、タオルドライだけでは足りないくらいには、髪が伸びていた。(だからといって、20円3分のドライヤーでは長すぎるので、困っている。誰かとわたしと一緒に銭湯に行って、20円3分のドライヤーをいい感じにシェアしてほしい。)



基本的に、毎週火曜日と金曜日の21時から24時まで、小杉湯で働いている。

せっせと掃除、せっせと洗濯。仕事にも慣れてきて、常連さんにも顔を覚えてもらえて、声を掛けてもらえるようになってきた。突然、肩をぽんぽんとされて呼び止められて、バナナをもらったり、ミニトマトをもらったりした。

仕事が終わったらそのまま入浴をする。「終わったらお風呂、、終わったらお風呂、、」と思えば、どんなに忙しくても頑張れる。

一時間くらいかけて、じっくり交互浴をして、湯上がりに自然回帰水を飲んで、番台の方と番頭の方にあいさつをして、夜風を浴びながら自転車で帰る。

家に着く頃には2時を回るか回らないかくらいの時間で、恋人が先に寝ている。わたしも、すぐに寝る。


今週は、ヘルプで入ったこともあり、気付けば、週五回も働いていた。と言っても、一回三時間だけなのだけれど。それでも、何もできずに横になっている日がほとんどだった頃を思えば、確実に元気になってきているのが、素直にうれしい。


銭湯巡りも再開した。今週は、渋谷にある改良湯と、神楽坂にある第三玉の湯に行った。

つくづく、銭湯という「場所」の温かさと暖かさに救われている。定期的に交互浴をしているので、自律神経も安定している気がする。心身の健康を取り戻しつつある。銭湯に感謝。銭湯で出会う全ての人に感謝。



ひとり多ずもうの稽古も進んでいる。先週の土曜日には、参加者全員が集まっての作品見せがあった。どのペアも、それぞれがそれぞれの方向でおもしろくて、本番がますます楽しみになったし、監修の松井さんがいちばん楽しみにしていてくれていることがとてもうれしかった。

わたしたちは、おそらくどのペアよりも長い時間をかけて(多くの時間という意味ではなく、創作を始めるタイミングがすごく早かったという意味で)創作をしているのだけれど、松井さんにアドバイスをいただいたり、的場さんと恋バナをしまくった結果、創作を始めた頃には思ってもみなかったような形になった。その過程が、まず、とてもおもしろい。

これまでは、「こういう作品」というイメージがある程度あって、それに向かって創作をすることがほとんどだったのだけれど、長い時間をかけて、俳優と、話して、書いて、試して、直して、試して、話して、直して、試して、話して、を繰り返していくことで、何もなかったところから、作品が立ち上がっていくこともある、ということを、頭ではわかっていたけれど、今回はそれを実感することができた。すごく新鮮ですごく貴重な体験だったと思う。

ひとり多ずもう、来週、本番を迎える。いまからとてもわくわくしている。



この三週間、いろいろ忙しかった割には、いろいろとインプットもできた。

東畑開人『居るのはつらいよ』、レンタルなんもしない人『レンタルなんもしない人のなんもしなかった話』を読み、トツゲキ倶楽部『いいヒト』、少女都市『向井坂良い子と長い呪いの歌』、ZURULABO『同じ浄土に咲く花で』、東京ノ、演劇ガ、アル。『BAR女の平和』、ひとごと。『互いに交わることのない、いくつかの』を観た。

今更、Amazon prime videoとNetflixも始めた。『人のセックスを笑うな』を観た。ドラマ版『夫のちんぽが入らない』を時間があるときに一話ずつ観ている。


今週の水曜日には、never young beachのライブに行った。ホールツアーファイナル。NHKホールの二回席の最後列。最初は、遠い、、悲しい、、と思っていたけれど、そんなものは杞憂で、ライブが始まってしまえば、音楽が舞台と客席の隔たりを溶かしてしまった(ボーカルの安部さんもそんなことを言っていた)ので、最初から最後まで、興奮して、あるいは、安心して、ゆらゆらと身体を揺らしていた。

普段、音楽を当たり前のように身につけていると気付かないけれど、音楽も「場所」なのだと思った。

ここに集まっているひとたちには、never young beach の音楽を聴きに来た、ということしか共通点が無い(まあ、ある程度、世代とか、他に好きなバンドとか、似ている部分はあるのかもしれないけれど、あったとしても、お互いにそれを知らない)けれど、never young beach の音楽を聴きに来た、ということだけで、つながれる。ひとつになれる。

それぞれが、それぞれの好きなように、音楽を浴びて、身体を揺らしたり、歌を口ずさんだり、立ったり、座ったり、手拍子をしたりする。それぞれが、それぞれの好きなようにしているのに、いつのまにか、つながっている。いつのまにか、ひとつになっている。

それでいいんだ、ここにいていいんだ、素直に思って、素直に思えて、表題曲の「STORY」からの「どうでもいいけど」で、少し泣きそうになってしまった。


『居るのはつらいよ』を読んだばかりだからかもしれないけれど、最近は、「場所」について考えている。

音楽も「場所」だと気付くことができたので、ちょうどこのタイミングで、ライブに行けてよかったと思う。三月になんとなくチケットを取っていた自分を褒めてあげたい。

「月末にはライブ、、月末にはライブ、、」と思えば、どんなに忙しくても頑張れる、ということも分かったので、月に一回くらいは、たっぷり音楽を浴びる日をつくっておくのもいいのかもしれないと思った。



日記を書いていなかった三週間、こうやって書き出してみると、とても充実していて、素直にうれしい。と同時に、この日記を書き始めたきっかけだった「ちいさなできごとを忘れたくない」という気持ちも、忘れたくない。

実際、この日記も、スケジュール帳を見返して書かれた「実行された予定」がほとんどだから。ほんとうは、予定と予定の間にあったこととか、ささいなことこそ、きちんと言葉にして残しておきたいのだ。

だから、やっぱり、どんなに楽しくても、どんなに忙しくても、一週間に一回は日記を書けるだけの余裕は持っていたい。


少しずつ、少しずつ、元気になってきているので、カラダのことや、ココロのことは、また別のところで書きたいと思う。



中島梓織

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