目覚めたら夏
「一週間に一回は日記を書きたい」という言葉が実現しなかったことには、さほど驚かない。こんなことを繰り返しながら、二十数年間やってきているのだから、まあ、こんなもんだろう、と苦笑いしている。
日記を書くペースについては、もう、何も言わない。誰にも何も言われないし、わたしもわたしに何も言わない。書きたいときに書く。
しかし、「一週間に一回は日記を書きたい」という言葉が一ヶ月前のものであることには驚く。七月になってしまったこと、一年の半分が終わってしまったことに驚く。
時の流れの早さそれ自体よりも、時の流れの早さを、「線」ではなく「点」で感じるような感覚になっていることに驚く。変な時間にいつのまにか寝ていて、ぱっと目が覚めたときに、いまいつなのか、いまどこにいるのか、わからなくなる瞬間のように、月の始まりを迎えている。目が覚めたら、七月だった。
この一ヶ月間を振り返る。
『ひとり多ずもう』が、始まって、終わった。小屋入りまでは、それぞれのペアが、それぞれのやり方で、作品を作ってきていて、わたしたちはとことん「おしゃべり」を繰り返していた。
その「おしゃべり」は本番直前まで続き、初日前日には、サイゼリヤで、わたしはハヤシアンドターメリックライス、的場さんはアーリオ・オーリオを食べながら、台本(しかもラストの展開)を修正した。
せっかくだったら中華料理でも食べればよかったのに、なんて、のんきなことを言えるのは、それが過去だからで、そのときはそのときでそのときに必死だった。何を食べるかなんて(少なくともわたしは)どうでもよかった。
ゲネを観てくださった松井さんのアドバイスを受けて、そもそも、わたしたちが最初からやりたかったことは何だろう?と振り返って、最後には、これまで考えてきた中で、最も残酷なラストシーンが出来上がった。
紆余曲折あったけれど、お客さまには、その紆余曲折を含めて、あの作品を笑いながら観てもらえたので、ほんとうによかった。ただの「イタイ女」としてではなく、わたしたちの中に少なからず存在している歪みとして、笑いながらも笑えず、引きながらも引けず、共有してもらえたのではないかと思う。そういう意味で、ごま油も、いい仕事をしてくれた。
ふたりで「おしゃべり」をしながら作った作品を、ひとりで背負って舞台に立って、勇敢に闘ってくれた的場裕美さんには、最大級の感謝と敬意を。演出家として、まだまだ未熟者の私でしたが、最後まで、ほんとうにありがとうございました。この場を借りて、もう一度、伝えさせてください。
「ひとり多ずもう」という企画は、とても素晴らしい企画だったと思う。私自身、演出家と俳優の関係性や、演劇である意味や、時間をかけて創作をすることの意味を、今までとは違う方向から考えることができたし、それぞれの演出家、それぞれの俳優が持つ、おもしろさが、それぞれのまま、それでも、ばらばらのままではなく、同じ空間に存在していることの尊さったらなかった。
演出家のみなさんはみなさんかしこくてやさしくて、俳優のみなさんはみなさんかわいくてかっこよかった。これは、決して、表面的な意味ではなく。
そして、そんな企画自体が持つ意義も、お客さまには伝わっていたのではないかと思う。
『ひとり多ずもう』が終わり、稽古のない日常が戻ってきた、かと思いきや、次は、水谷先生と桃山商事の清田代表が主宰する「見当識と素材を取り戻すための自主ゼミ」の準備に取り掛かることになった。
実際に、私がゲストとして参加するのは6月25日だったのだけれど、その一週間前、6月18日を「予習の回」として、私たちの作品を自主ゼミに参加していただくみなさんに観ていただくことになっていた。
昨年上演した『夏眠』と『過眠』のリーディング公演。オリジナルキャストのみる、萩原さん、内田さんに、運良く集まってもらうことができて、教室公演という環境や、リーディング公演という条件も、上手いこと作用して、私自身、テキストの再解釈がよくできた気がする。(一年も経ってしまうと、自分の気持ちを思い出すというよりは、他人の言葉を解釈するという感覚のほうが強かった。)
一週間という短い稽古期間であったにも関わらず、出演を快く引き受けてくれた三人、助言をくれた演出助手の八杉には感謝感謝。
「予習の回」に参加していただいたみなさんの、『夏眠』と『過眠』に対する密度の高い感想や、水谷先生や清田代表との「おしゃべり」で、初演当時よりも、より、思考を深められた気がする。わたしだけで考えること、とか、言葉や物語が持つ力、(それは、エネルギーにも、パワーにもなる、そして、ときには、暴"力"にもなる)とか。もちろん、正しい答えなんてものは見つからないけれど。
小杉湯で働くことは、いわゆる「日常」になりつつあり、毎週火曜日と金曜日の夜に番頭として、そして、今月からは、毎週日曜日の昼に番台もすることになった。
番台に座って、お客さまを迎えること見送ることに、ひっそりあこがれがあったので、とてもうれしい。写真は、初めて番台をした日の、番台からの景色。
小杉湯には、その日の番頭のひとや番台のひとが、働きながら気になったことや、お客さまおのやりとりや、ときには、なんでもないつぶやきなどを書いて、全体に引き継ぐ、「引き継ぎシート」がある。番頭の美帆さんや三代目の佑介さんのコメントが入った引き継ぎシートが、毎朝、LINEで共有される。
基本的に、シフトの時間は、番頭ひとりと番台ひとりでお店全体を回すのだけれど、その引き継ぎシートを書いたり読んだり、美帆さんや佑介さんのコメントを読んだりしていると、日々、小杉湯がアップデートされていることが肌で感じられる。お客さまの声、番頭や番台の声が、ほぼリアルタイムで反映されて、昨日よりも今日、今日より明日と、進化しているような気がする。
ちょっと贔屓目もあるかもしれない。けれど、古き良き伝統を守りながら、進化を続ける小杉湯は、とってもとっても、いい銭湯なので、たくさんのひとにおすすめしたい。し、おすすめしている。
演劇は、スペースノットブランク『全ては原子で満満ちている』、譜面絵画『プロムナーズ』を観た。映画は、テアトル新宿で『愛がなんだ』を、Amazon primeで『永い言い訳』と『セトウツミ』を観た。本は、桃山商事の『モテとか愛され以外の恋愛すべて』、そして、次回公演の参考に、斎藤学の『インナーマザー』、『「自分のために生きていける」ということ』を読んだ。
また、6月27日には、小杉湯の番頭でマリンバ奏者の野木青依さんとVegetable Recordのお二方による「Song for 小杉湯」のリリースライブに行った。この曲は、小杉湯の待合室や脱衣所で流れるBGMとしてお三方が作成した曲で、わたしにとっては、すっかり聞き馴染みのある曲になっていたのだけれど、その日のライブでは、「Song for 小杉湯」の即興演奏がなされた。
青依さんが男湯、Vegetable Recordのお二方が女湯、壁を隔てながらも、同じ空間で演奏をし、観客はそれを自由に移動しながら音楽を浴びる。30分ほどの演奏だったが、この時間が永遠に続けばいいのに、と思えるほど、心地よい空間だった。感動して、何度も何度も、泣きそうになった。
いつか、小杉湯で、演劇作品の上演をしてみたい、とも考えていて、ますますその意欲が湧いてきたし、銭湯という「場所」の可能性にも思いを馳せた。
そんなこんなで、あっという間に、一ヶ月が過ぎていた。あっという間に、というわりには、中身はぎゅうぎゅうにつまっていて、これを書くのに、一時間もかかった。息切れ、息切れ。
七月は、来月の「ラフトボール2019」参加作品『健康観察』の創作が中心になると思う。
せっかく「健康」について考えるのだから、生活とともにある創作についても、考えていけたらと思う。在学中に、自分で台本を書いて自分で演出をするのは、とりあえず、最後になりそう。
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