点で生きる
点で生きる。
あらかじめ用意された線の上を生きるのではない。そもそも、そんなものはない。点と、点と、点と、点と、点と、点と、点と、と、少しずつ、少しずつ、それらを繋いでいって、線に「する」のだ。
わたし「が」。
わたしの発作は、過去に対する強い後悔と未来に対する強い不安によって起こる。
傷つけた。傷つけられた。もうどうすることもできない。謝りたいひとがいる。許したいひとがいる。けれど、いざ、顔を合わせれば、わたしはきっと、逃げ出してしまうだろう。真夜中、思い出してしまったら最後、泣き疲れて眠りにつくまで、どうしても頭から離れない、記憶によって。
今日よりも明日。明日よりも明後日。今週よりも来週。今月よりも来月。今年よりも来年。三年後。五年後。十年後。もっと、もっと。わたしが、いまのわたしよりも、よりよいわたしであらねばならない、という、目には見えない重圧によって。そうではなければ、わたしは捨てられてしまう、という、恐怖によって。
その、回想と想像(と、あるいは、被害妄想)には、「いま」のわたしはいない。
ふと、そのことに気が付いて、発作が収まることが多くなった。
涙が溢れて、体が痺れて、呼吸が荒くなって、見えている聞こえている感じている世界が歪んでも、「いま」のわたしが、過去や未来に引きずられそうになっているわたしの手を取り、現実(自室のベッドの上、布団を抱きしめ、枕を濡らし、ひどい顔をしている) に、連れ戻す、ということが多くなった。
自分で自分の呼吸を落ち着けて、薬を飲む。隣にいるあなたは、もう寝息を立てている。「いま」のわたしは、「そんなことよりYouTube観たい」と言う。なんだか、さっきまで「死ぬかもしれない」と思っていたことがばかばかしくなって、いつのまにか、眠っている。
わたしが、わたしを、飼いならしはじめた。
たくさんのお祝いの言葉をいただきありがとうございました。22才の誕生日を迎えられたこと、おおげさではなく、ほんとうに奇跡のことのようだと感じています。正直、泣いたり笑ったり忙しくて、めちゃくちゃ面倒くさいんですが、これからも中島梓織を生きていきたいです。わたしがわたしでわたしを! https://t.co/Nl6n4Yb4in
— 中島梓織(おぺ) (@ope_822) August 22, 2019
2019年8月22日、わたしは22歳になった。わたしはそれを奇跡だと思った。
そして、わたしは、ほかのだれでもないわたし「が」、わたしの点を打ち続けることを、そして、それらを線で繋いでいったとき、どんなにまっすぐな線でなくても、どんなにへんてこな線であっても、中島梓織と名付けられたその一本の線を、ほかのだれよりもわたし「が」、誇りを持って愛することを、覚悟した。
わたしが、わたしを、わたしで、生きる。
いつだって、わたしは、わたしわたしわたし、って、わたしの話ばっかりだ。きっと、飽き飽きしているひともたくさんいるだろう。わたしだって、飽き飽きしている。
もう、わたしにわたしの話をしてほしくないのであれば、そっと、わたしのもとを離れてください。それが、きっと、お互いのためです。
けれど、わたしは、わたしだけは、わたしから離れることができない。わたしから逃げることができない。わたしの話ばっかりのわたしを、わたし「が」、生きていかなければならない。
わたしは、そのことを覚悟した。
「もう自分のことを演劇にしないでほしい」と言われたこともあったけれど、その言葉に対するこたえは、まだ、出さないでいる。
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